中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

「聖書は実際に何を教えていますか」を読む

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人通りの多い街角や駅前で、周りから浮いた服装をした男女がこのような冊子を配っているのを見ている方はけっこういると思います。

声をかけられた時、彼らは自らの素性をはっきりとは言いません。なぜ言えないかは恐らくそれを言った瞬間に人々が避けてしまうからでしょう。

 

さて、今回はエホビアンのあやしい勧誘冊子「聖書(中東神話)は実際に何を教えていますか」を読んでみたいと思います。ページ数が多いので、何回かに分けて書いていきたいと思います。

 

ページをめくるとすぐにカラーの見開きに希望に満ちた絵と言葉が並べられています。

そして6ページ

「この前のページに示されていることを、あまりにも楽観的な考えだと片付けないようにしてください。」

 

と言われても楽観的だとコメントせざるを得ませんよ。

 

「神はこうした事柄の実現を約束しておられ、聖書は神がどのようにそれを実現なさるかを説明しています。」

 

約束というのは契約者と被契約者との契約です。神が誰に対して契約しているかがはっきりしません。また、保証がありません。いるかどうか分からない神に約束してもらっても安心できません。

あなたは生命保険の契約をする時、契約書も交わさずに、保険会社社長の自伝に「私は契約者との約束は守る」と書いてあるから信用できる、と言って契約しますか?

 

7ページ

「この本を読んでおられるのは、聖書の教えを知りたいと思っておられるからでしょう。」

 

うーん、そういう方にはいい誘い文句です。ただその誘導先が違っているのが難ですが。

 

「お気づきのとおり、ページの一番下には、各節に対応する質問があります・・・あなたもその方法から益を得るでしょう。」

 

冷静に読んでいれば分かることですが、その質問に素直に取り組むと、答えはひとつしか出てきません。答えがひとつしかないからそれが正しい、と思うのは小学生未満の思考です。そこがエホビアンの組織のやり口なのです。後に例が出てくるでしょうから、ここでは飛ばします。

 

第1章 神に関する真理とは何ですか

 

早速下段に質問が出てきました。

1,2 多くの場合、質問するとどんな良いことがありますか。

 

まあ小学校の文章問題程度ですね。

どの道を進めばよいかを知り・・・好奇心を満足させるのです。

あたりが答えになるでしょうか。

 

3 多くの人が、非常に重要な質問の答えを探す努力をやめてしまうのは、なぜですか。

 

「多くの人が」本当に多くの人でしょうか。むしろ質問の答えを探す努力をやめてしまっている人は少ないかもしれません。本を読むばかりではなく、日々の生活の中で、働く中で、友人と触れ合う中で、時々一休みしながらもまた答えを探す方もいるでしょう。

9ページに「質問の答えは聖書にないのでしょうか」という言葉を入れて、あたかも中東神話(聖書)に正解があるかのようにほのめかしています。

 

「大切なのは、満足のゆく確実な答えを見つけるまであきらめないことです。」

もっともなことだとは思いますが・・・次の文章

「教師として有名なイエス・キリストは・・・そうすれば開かれます」

これもまあもっともだと思います。しかしその後!

「他の人たちがどんな意見を述べるとしても、答えは必ずあり、必ず見つけることができます。聖書の中にあるのです。」

・・・あーあ、ここで中東神話(聖書・それも新世界訳)を開けば答えはすべて見つかります、という誘導になってしまう訳ですね。「他の人たちがどんな意見を述べるとしても」と書いたところで「聖書以外の意見は間違っていますよ」と言いたい感がプンプン臭います。

 

P9〜 気遣うことのない冷たい神か

いろいろと神のことを賛美する文章ですが、本当にそうでしょうか。

P11「神には悪のかけらもありません」

その当時人々の行ないが悪いからと言って、ノアの時代に方舟に乗った生き物以外をすべて洪水で滅ぼす神は善なのでしょうか(ちなみに水生生物は洪水では絶滅しなかったと個人的に思います)。

お世辞にも「かけらもありません」なんて言えません。むしろ「しばしば悪の姿を現します」くらいでちょうどいいのではありませんか。

 

「ですから神は全面的に信頼できる方です。」

清くて純粋だから悪のかけらもなく、だから全面的に信頼できる方という理論の進め方は難があります。

人間にも清くて純粋な方がたくさんいますが、その方々が純粋に自分の信じることを頑なに守ることで、周囲に迷惑をかけることがあります(どこかの信者がいい例ですね)。純粋な神でも同様に周りに迷惑をかけることになるでしょう。純粋な存在が信頼できる存在になるかといえば、一概にそうだとは言えないのではないでしょうか。

 

「しかし神は全能者、つまりどんなことでも行える方です・・・神は将来に行動を起こし、その際に悪を永久に終わらせます。」

この発言も、その「どんなこと」を行わなければ妄想の産物に過ぎません。北朝鮮の書記長もそんな方です。むしろ存在がある分立場は上かもしれません(笑)。

 

すみません、今回はこんなところで。

中東神話に書かれていることが正しいと思って読んでいるとすべてスルーしてしまうことでしょうが、中東神話をホントのことだと思っていない筆者にとっては眉からツバがしたたり落ちてしまうほどの眉唾もんなんですよー。