翔んで◯◯ その2 乗って岡山、ゆられて高知
3月1日。
いつもと違う寝床だったせいか、6時に目が覚めた。でも眠い。
TVをつけてニュースを聴きながらボヤーと過ごし、朝ごはんを食べたのは8時過ぎ。
その後もボヤーとしていたら9時。
いい加減出かけないと岡山で後輩に会えない、と思っていたら後輩から「急に会議が入ってしまったので昼は会えません。15時過ぎにお茶でもいかがですか?」とのメール。
・・・残念。さすがに15時まで岡山にいたら、高知に着くのは19時くらいになってしまう。後輩に「今回は申し訳ない」とのメールを送り、ホテルを出た。
昼間はただひたすら移動するだけ。梅田まで阪急に乗り、そこから先はJR。高速バスを使う方法もあったが、学生時代に通った路線をなぞりたかったのだ。
のぞみと比べると格段に遅いが、夕方までに高知にたどり着けばいいのだ。
近くの座席では、3歳くらいのお坊ちゃんがお母さんにずっと話しかけている。
子供の関西弁はかわいらしい。普段聞かない分余計にそう感じるんだろう。
岡山駅に到着するといい時間になったので、駅内にあるお店でうどんを食べた。
うー、つゆが絶品!
東京のお店や丸亀製麺の出すうどんとは比較にならないほどうまい。
そう、30年前も宇高連絡船の中でこんなうどんを食べたんだ。
そしていよいよ高知行きの特急「南風」に乗った。
なつかしい景色が通り過ぎる。
そろそろ降りる準備を・・・と思って防寒着代わりのレインウエアを探してみるが、あれ?どこだ? みつからない。リュックの中もない。
座席付近をくまなく探したが見つからない。
さては岡山に向かう電車の中か岡山駅構内で落としたか。
問い合わせる時間もすべもないのでこの件は後回しに。
そして高知に到着。
えー!いつのまにこんな彫像が???
ホテルで少しくつろいだ後、友人と駅で落ち合った。
友人は45まで富士通で働いた後、農業に転身した。富士通が定年を45歳までにしているためで、会社に残りたければ管理職になるしかないそうな。
彼は定年後の職業に農業を選んだ。今はハウスでピーマンを栽培しているそうで、いろいろ苦労はしているらしいが、県内でもトップクラスの収穫量を上げているとの話。
ちょいと口うるさいところはあるが、よく考えて自分の意見を持っている奴だ。
原発についての話もしたが、興味深い内容だったのでいつか別記事に上げようと思う。
話の流れでツマがJWになったことも話した。
彼の友人にもJWがいたそうでそれなりの知識を持っていて、けっこう的を得た意見を言う。耳に痛いことも言われたが言ってくれるだけありがたい。
高知を発つ時にもたくさんのアドバイスを込めたメールを送ってきてくれた。
これほど親身になってくれる友人に感謝。
地元の新聞社に勤めている友人も遅くになって駆けつけてくれた。
ちょっぴり丸くなったが面影は昔のまま。
3人で閉店まで語り合った。
この日は比較的早くに解散。
明日に備えてよく寝ておかねば。どんなことになるか分からないので・・・