ぼやきの砂粒
朝日新聞2020年11月20日朝刊に「不倫バッシング なぜ」という特集が掲載されていた。
婚外性交渉は道徳的に許されるか、というアンケートを国ごとに取ったところ、日本では69%が「道徳的に許されない」と回答した。
ちなみにフランスでは「道徳的に許されない」が47%で、「道徳の問題ではない」という回答が40%だった。日本では14%だ。
大昔は一夫多妻制や一妻多夫制が認められていた。一妻一夫が原則となったのはそれほど昔のことではない。
よく「少子化対策」と政府が叫んでいるが、単純に日本人の出生率を増やしたいのなら、一夫多妻制や一妻多夫制を法律で認めればいいんじゃなかろうか。
経済的に多くの子を養育できる人間がたくさん子供を生んで育てることができるならその方がいい。言い換えれば国の圧力で「子供を生まなきゃ」という強迫的な気持ちを保つ必要もなくなるのでは、と思う(もちろん親や義父母から受ける圧力もかなりあるが)。
不倫バッシングが起こるのは、実は「うらやましい」という感情の裏返しではないかと感じることがある。
「自分は好きでもない配偶者と顔を突き合わせてつまらない人生を送っているのに、あいつは配偶者を裏切っていい思いをした、許せない。」
と。
怒りを感じるシステムの中には「決められたことを守らない」ことに対するものがけっこう多いと感じる。
その「決められたこと」を取っ払えば怒る理由がなくなる。
興味のある方はぜひ記事をお読みください。
話はまったく変わるが、やっぱりアブラハムの行為は認められない。
紙への信仰を貫いた者として称賛されているが、見方を変えれば「権力者からの命令を忠実に遂行した自分の考えを持たない人間」となる。
乱暴な例えになるかもしれないが、ヒトラーの命令を忠実に遂行したヒムラー達はアブラハムと同類ではないか。
「紙とヒトラーは違う」と反論があるだろう。「紙は正しくてヒトラーは間違っているからだ」という理由で。
自分の息子を理由もなく殺せという紙が正しいのか。
なんだかんだいっても一神教は、支配者が被支配者を都合よく支配するために作ったものとしか思えない。その縮図は親(支配者)と子(被支配者)に反映される。
ああ、今の状態はどうしようもない。壊したい。