奪われても、与えられても
ネットでたまたま見かけた記事に惹かれたので貼りつけておく。
記事を書いた方は、どこぞのカルト宗教の親とは違い、様々なものを与えられてきたみたい。だけどそれに感謝しているわけではなさそう。
親の望む人間になれなかったことへの罪悪感を持つ子供って・・・
結局何も与えられなくても、いろいろなものを与えられても、本人が自分を肯定できなければどちらも大差ないのかなあ、と感じた。
記事を書いた方には、今の自分でいていいんだよ、と言ってあげたい。親を幸せにするために生きているわけではなく、自分が幸せになるために生きているんだから。
少し前にJWの連中にオンライン飲み会に招待された。
参加する30分前までは乗り気でいたのだが、その後風船から空気が抜けるように気分がへこみ、直前でキャンセルした。
JWとツマを嫌悪しているのにそのJW連中と飲みながらヘラヘラ笑う自分を想像したら、気分が萎えた。調子よく祭り上げられてのぼせ上がっているだけじゃあないかと。
元々オンライン飲み会は表面上ツマは参加していないが、状況は逐一ツマに報告される(ということを最近知った)。
別に飲む相手がいないわけではない。おだてられるのは嫌いじゃないが、おだてられることを前提にした飲み会に参加するほどマヌケではないつもりだ。そう思っていたとしても自分はマヌケなのだが。
自分がオンライン飲み会をキャンセルしたことで、周辺はゴタゴタしていたみたい。
参加者から電話がかかってきたり、食べ物と一緒に「体調は大丈夫ですか?」というメッセージカードがついてきたり。
心配ご無用。ただ気分がのらなかっただけなので。
JWはイレギュラーに弱い。明日ハルマゲドンが来て最もオタオタするのはJWの連中だと思う。
11月15日にこんなオペラが開演しました。
自分は仕事なので、客席で観ることはかなわないのだが、どんな内容なんだろう・・・