中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

覚悟

田中邦衛さんが亡くなってずいぶん経ってしまった。

吉岡秀隆さんの哀悼の言葉が印象に残っている。

 

「いつか、この日が来ることを心のどこかで覚悟しておりました。今は邦衛さんの笑顔しか思い浮かびません。自分の覚悟の小ささとあなたの大きな優しさに涙しかありません」

 

「覚悟の小ささ」という表現で、吉岡さんの思いが容易に想像できる。

 

追悼番組で放送していた「北の国から'87 初恋」を観た。

横山めぐみさんや地井武男さん、布施博岩城滉一、美保純、古尾谷雅人とそうそうたるメンバーが出演していた。

 

どうにもならないことだけど、人はそれに抗う。観ていてなんともせつなくなる。

 

 

数年前に亡くなった父はそのかなり前から腎臓を患っており、次第に衰えていく姿を見ることで自分は父の死を受け入れる覚悟ができていたのだと思う。

 

しかし今、突然母が亡くなったとしたらきっと自分は冷静ではいられないだろう。年の割に活動的で好奇心旺盛、けっこうな新しもの好きでスマホも使いこなす。そんな姿を見ていると「まだまだ元気だ」とも思うが、同時に少しずつ老いていくのも感じている。

 

少し前から「母はあと10年で亡くなる」という前提で、その時に備えようとしている。あくまでも気持ちの中だけなのだが、いくら心構えをしていてもその時になったら恐ろしく取り乱してしまうんじゃないかと思う。

 

人生のいろいろな場面でそれなりの覚悟が必要になる時がある。

成功する確率の低い物事を実行する際に、失敗を受け入れることができるか、その後の状態に耐えることができるか、なんていうことに。

 

元々楽天的な性分なので、これまで覚悟という重々しい気持ちをほとんど抱かずに生きてきた。それは結婚に関してもそうだったし、子供を生み、育てるということに関してもそうだった。

今そのツケが回ってきたのかもしれない。

 

この状態のままではいたくはないが、現状を打開できなければそれに耐えつづけなければならない。

 

そんなのはいやだ。

 

 

さて、新型コロナウイルスの感染拡大は衰える様子がない。

それなのに2ヶ月後、オリンピックを開催するという。

 

一般人の生活を平気で何ヶ月も制限しておきながら、2週間の祭りは好き放題に行おうとするなど正気の沙汰ではない。
近所の家が燃えているのに「こっちには延焼しないから平気だ」といって屋上でバーベキューをしようとするようなものだ。

祭りに必要な人材は無償(ボランティア)で入手しようとしているが、この状況下で誰が協力しようというのだろう。協力するのは当たり前だと訴えているのは手を出す気のない老人たち。

 

フォレストじいさんから交代したその娘もオリンピックを開催できると意気込んでいるようだが、その根拠が何も示されない。むしろ開催できない理由がどんどん積み上がっている。

 

祭りの実行委員会も、それに協力している敬老会の面々も、そろそろ覚悟を決めなければいかないんじゃなかろうか。もちろん開催ということではない。