「真実」と「事実」
スーパーで買物をしていた高校生のAさんが、何気なくジャケットのポケットに手を入れたのを、店員のBさんは見逃しませんでした。
ジャケットに入れた手を掴み上げ、「今あなたは商品をポケットに入れましたね」と詰め寄りました。
Aさんは「いえ、何も取っていません!」と言いました。
Bさんは商品の在庫状況とレジの購買ログを照らしあわせて、Aさんのいた棚にあった商品在庫が1つ足りないことを確認しました。
「万引きした商品はどこにあるんですか?」
「ちょっと待って下さい、僕は何も盗っていません。」
BさんはAさんの身体検査をしますが、盗まれたと思われる商品はAさんの体からは見つかりませんでした。
「とにかく事務所に来てください」
BさんはAさんの腕を引っ張って事務所に連れて行こうとします。
その光景を、たまたまAさんの友人Cさんが見ていました。
Cさんはその状況から「Aさんが万引きをして捕まった」と認識します。
それをスマホで友人D,E,F,Gに送信しました。
「Aが万引きして捕まった」
さて、Aさんが事務所に連れて行かれてしばらく後、別の店員さんが
「Bさん、あの商品、ひとつ輸送の時につぶれていたみたいなんで棚に入れてなかったんです。在庫の帳尻は合ってます。」と言ってきた。
BさんはAさんに平謝り。
「大変申し訳ありません。私共の不手際でございました。Aさんには大変失礼申し上げました。お詫びにお好きな商品をお持ちになってください。」
Aさんは
「別に何もいりませんよ。俺は自分の買いたいものを買えればいいんだから。」
Bさん、
「そうしましたら、お客様の本日必要なものを無料で提供いたしますので、今回の不手際、平にご容赦くださいませ。」
Aさんも、
「そうですか、それなら今日買いたかったものを買わせてもらいますよ。」
と食材から日用品から、今日必要なものだけではなく、必要ないものまでカゴに入れました。
Bさんも内心「こんなに買う予定じゃなかっただろうが」と悪態をつきながら、表面的には笑顔で
「この度は大変失礼致しました。今後もこのスーパーをご利用ください。」
とAさんを見送りました。
Aさんはまんざら悪い気もせず、大きな買い物袋を両手に下げて歩いて家路につきました。
それをAさんの友人Hさんが目撃。
次の日
Aさんに会ったCさんが開口一番
「A、おまえ昨日スーパーで万引きして捕まってただろ!」と言いました。
それを見たHさん、
「えっ! A、おまえあんなにたくさんの物を堂々と万引きしたのかよ!」
Aさんが弁解するヒマを与えず、CさんとHさんが大騒ぎ。D,E,F,Gさんも巻き込みますが、それぞれ言ってることが微妙に違います。
Aさんは万引きしていませんでした。
しかしCさんはAさんが店員さんに事務所に連れて行かれるのを見て「Aは万引きして捕まった」と認識します。これはCさんの真実です。
Hさんは、Aさんがたくさんの買い物をして帰るAさんの姿を目撃していました。
そして次の日Cさんの発言から「Aはたくさんの商品を堂々と盗んだ」と認識しました。
これはCさんの真実です。
友人D〜GさんはCさんからのメールで「Aさんが万引きをした」ということだけ知っています。D〜Gさんにとっては『「Aさんが万引きをした」とCからメールが来た」というのが彼らの真実です。
しかし事実ではありません。
巷でよく目や耳にする「真実」とは本当のことなのか、自分にとっては非常に頼りない言葉だと思うのです。
ある「事実」に対してすべてを知っている人はほとんどいません。どの人も「ある側面」からしか「事実」を眺められません。
ただ、見る人にとってはその側面が「真実」という、「本人にとってのホントのこと」になるのだと思います。
当事者以外が「事実」を掴むのは非常に難しいことだと思います。
だからこそ「事実」の側面だけを眺めて、「これが真実だ!!!」とさも分かったように触れ回るのは危険な行為だと思うのです。
☆「事実」と「真実」の認識はあくまでもうえになおじ個人の考え方です。