「ロゴス・クラッシャー」
読んでいた本の中に出てきた言葉がそのタイトル。
自分は「生きることに意味を求めなくていい」という考えにとりあえず落ち着いて、精神的には比較的安定した状態でいたつもりだった。
図書館のカウンターで目にして、どんなことが書いてあるか軽く読んでやろう、と思ってページをめくっていくと、自分の考えを再考させられる内容だったため、1回読んだ後もう一度読み返した。
生きる意味を感じられず空虚感を覚えるのは、どうも今の世界ではごく当たり前のことらしい。むしろ空虚感を覚えない方が危険だとこの本には書いてある。
記述の中に「ロゴス」という、日本語では1つの言葉では表せない事柄がある。自分の言葉で書けば、理論的なことも含めた上での人間の良心、とでもいえばいいのだろうか。
「ロゴス」を大底の基本概念として人間生活が成り立っているのに、そのロゴスをまったく無視した人間が「ロゴス・クラッシャー」と呼ばれる。
本の中では某大国の前大統領という表現であるお方が例に出ている。
読んでいくと、彼が大統領選に勝った理由に納得がいく。
日本社会では今もそうだが、声の大きい人間の意見が通りやすい。理論ではなく感情や自分の損得だけを考えた言動でのし上がっていく人もいる。
家庭内でもこどもの言うことを聞かず自分の考えだけを言い放つだけの親がいる。自分が間違っていると疑いのかけらも持たず、「こどものため」にと自分のエゴを押しつける親がいる。
様々な場所に「ロゴス・クラッシャー」は潜んでいる、と本には書いてある。
自分がロゴス・クラッシャーではない、とは断言できないけれど、ロゴス・クラッシャーにならないためにどうすればいいか、を考え続けることはできるだろう。
この本を読んで、ミヒャエル・エンデの「モモ」を読みたくなった。
「なぜ生きる意味・・・」に紹介のあった「エンデのメモ箱」も読んでみたい。