中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

「Q&A モラル・ハラスメント」を読む

ふと思い立って本を借りてみた。

 

現在の自分の行動がどんなものかを確かめる意味もあった。

 

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一般社会に背を向けて、自分の都合のよい(と思い込んでいるだけの)思想を持った集団のいうことしか聞かないツマとは共通の話題もなく、会話をしても話が噛み合わず、そのイライラから、おだやかに話そうとしても結局ケンカのようになり、それをさんざん繰り返した結果、会話をするのをやめた自分。

 

朝のあいさつもしない。

起きた後何度もすれ違っているのにそこでは言わず、なぜか朝の食卓の前で「おはよう」とわざとらしく感情を込めて発音するツマ。その動作だけでも嫌悪する。

その後は何も話をしない。本当に何もだ。

家を回すための事務的な連絡も、自分は本当に必要な時だけメモを書いておく。

ツマはホントに何もしてこない。

 

さて、自分のこの態度がモラハラにあたるのか、という疑問。

通常の家庭ならば完全に黒だ。相手が新興宗教に走っているからという理由でもかなり濃いグレーだろうか。

 

でもこれがモラハラにあたるなら逮捕でも投獄でもしてくれればいい。ツマと顔を合わせるよりマシかもしれない(笑)。

 

読み方によっては、自分こそツマのレリハラ(宗教的なハラスメント)被害者ともいえる。

 

息子の七五三もできず、誕生日も祝おうとせず(息子も表面的に喜ばない)、クリスマスもなく、季節のお祝いもしない。

かといって普段別の機会に個人的なことでお祝いとするかといったらまったくない。

 

万年低空飛行のような生活。

 

自分は普段できるイベントは行っているが、周りが一緒にやらないとやっぱり冷める。自分も無気力無感動になってしまいそうになる。

 

「離婚をしたら世間体が悪い」とか「本当はいい人だし、優しくしてくれる時もある」といってハラスメントを我慢してしまうと精神的に病んでしまい、抵抗をあきらめてしまうという。

そうなってしまう前に「相手から離れること」が大事だそうな。

 

相手のご機嫌を取るために自分が生きてるんじゃない。自分が自分の生活を楽しむために生きているんだ。そして相手と一緒では人生が楽しめないなら、相手から離れて楽しめる人生を探さなくては(ここでは離れることで相手が不幸になることは考えない)。

 

 

とまあ曲解になるかもしれないが、また一歩前に進む力をもらった。

 

ちょうどコロナ禍で精神的に少し弱っていたかもしれない。ちょっとずつ元気を出していかないとなあ。