中東書記(聖書と呼ばれる書き物)を読まない男、紙様にぼやく

本、新聞などの記事について もごもごと感想を書きつつ、どこぞのカルト宗教に取り込まれてしまった方々についてぼやいております。

矛盾

公立高校の受験も終わり、中学生は期末テストの準備にはげんでいる・・・はずなのだが。

 

うちの上の息子(以後:ソース)はのんきなものだ。

宿題は学校で済ませているからと言って、帰宅するといの一番にスマホをつかみ取る。

 

5段階評価による成績は、全体をならして限りなく2に近い3くらい。本人は、自分よりも製先の悪い人を見て安心している感じ。見る方向が上下反対だっつーの。

 

そんな状態なので、家にいる時は寝る前までスマホにかじりついているソース。そしてここぞとばかりにツマが「勉強やったの?」と馬の耳に念仏を唱える・・・おっとツマは仏教徒じゃなかった(笑)。

 

しかし、なぜツマはソースに勉強しろと強要するのだろう。

 

ものみの塔聖書冊子協会によると、この世の終わりがまもなく(またはすぐ)来るという。

世界の終末というとんでもない状況にもかかわらず、子供に勉強をさせてもしょうがないだろうに。世界の終わりはすぐ来るけど高校受験はその後に来るとでも思っているんだろうか。

 

結局ツマも含めて多くのカチコチJW信者(敬意を込めてエホビアンと呼ぼう)は、組織上部から下りてきた命令を何も考えずに実行しているんだろう。まもなくだとかすぐだとか中東書紀が書いて、かれこれ2000年以上経つのに世界の終わりはやってこない。じゃあ紙様の「すぐ」ってどれだけの時間なのだ?

そば屋の出前で「今出ました」と言ってそばをゆでて配達するまでが20分くらいだろうか。

紙様の時間は1日が1000年(約365000日)らしいから、20分は約7300000分で、約5070日(約13年)か。ツマがJWに関わってから約10年になるから、紙時間によると、多少の誤差はあるだろうがあと3年で世界が終わるはずだ。

ってことは、ソースが高校に入っても次の年には終わりが来るから、高校受験も無駄だし勉強しても何の得にもならないことになる。

それでも勉強しろって、JWとして信仰が足りないんじゃなかろうか。

 

それとも、終わりが来なかった時の保険としてソースに定職に就いてもらい、老後に養ってもらおうなんて紙様に対して不届きな考えを抱いているのではあるまいか?

 

 

さて、自分は基本的に「勉強しろ」とは言わない。自分が親に言われなかったからだ。

中学までは比較的成績がよかったため、親がケチをつける必要がなかったということもあるが、かなり自由にさせてもらった。

 

コロナ禍で、自由に外遊びができない今、親からの言葉で無用なストレスを与える気はさらさらない。それに時代が変わり、勉強ができたからといって必ずしもよい仕事に得られるわけではない状態になっている。親としての自分も正直なところ、勉強を強要することが子供の幸せにつながるという絶対的な自信がなくなっている。

 

そして何より自分が思うのは「自分が行動する前に人から命令されると、それが自分の意志と同じだとしても『命令に従った』と感じる」だろうということ。

だからなるべくギリギリまでソースに命令しない。

 

最終的に精神的・経済的に自立してくれればいいのだ。
とはいえ現在はその状態になることすら大変難しい状況。今後その状態が改善されるとは到底思えない。そこに老親がすがりついたら親子で沈没(バ○○スマに非ず)必須だろう。

将来子供に負担をかけない親でいられるといいのだが。

 

 

さて、本日の晩。

ご飯を食べているソースに向かってツマがしゃべりかけた。

 

ツマ「今日は何の活動をしたの?」

ソース「は?」

ツマ「友達とおしゃべりしたとか」

なおじ(それは活動じゃない)

ツマ「〇〇○(本日ではない給食のメニュー)どうだった?」

ソース「へ、なにそれ?」

ツマ「給食のメニューであったじゃない」

ソース「知らん」

ツマ「ソース、全然話をしてくれない!」

 

 

・・・・・言葉の使い方からどうしようもないが、ツマ本人に「相手が答えやすい話をしよう」という気がない。そもそも中学の給食メニューを話題に出してくるほど自分に話題がないのか。今日自分が何をしたか話せないほど何もしなかったのか。

 

ツマは会話をしたいとか何かを聞きたいとかじゃなく、「家族で会話をすることが家族のつながりを強くします」なんて書いてある雑誌を読んで、何でもいいから言葉を投げているだけなのかもしれない。

壁に豆腐を投げてもつぶれるだけ。跳ね返ってくるものを投げなければ自分には戻ってこない。